「第3 日独社会学会議」に向けて (2)

 

(承前)

2. 「カテゴリー論文」における社会学的基礎範疇の定立

さて、その「ヴェーバー社会学」は、「カテゴリー論文」で、(「ロッシャーとクニース」以来の方法論的思索の成果が積極的に集約されて) 方法的に基礎づけられ (§Ⅰ~Ⅲ)、そのうえで、「旧稿における一般社会学的な具体的展開に向けて、その基礎範疇が定立されます (§Ⅳ~Ⅶ)

また、「旧稿」とほぼ同時に研究が進められ、少し遅れて『社会科学・社会政策論叢Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik』に発表され始める「世界宗教の経済倫理Die Wirtschaftsethik der Weltreligionen」シリーズでは、「旧稿」のその「一般社会学」が、中国、インド、古代パレスチナなど、非西洋文化圏に「個性化的に適用され、それぞれの文化総体の特性が「(「旧稿」で一般的に規定され、性格づけられている) 普遍的諸要素の(それぞれの文化圏に固有の)個性的な互酬-循環構造reziproke Zirkelstruktur」として把握されたうえ、「(同じく「旧稿」で一般的に規定され、性格づけられている) 普遍的諸要因の (それぞれの文化圏に固有の) 個性的な布置連関Konstellation」に因果帰属されます。しかし、ここでは、「世界宗教の経済倫理」との関連は省略して別稿[1]に譲り、問題を「カテゴリー論文」と「旧稿」との関連に絞りましょう。

 

「旧稿」の側から議論を始めますと、ヴェーバーは、(みずから実質上の編集主幹をつとめると同時に「旧稿」を寄稿しようとしていた)『社会経済学綱要』の「序言Vorwort」に、この叢書全体を導くべき包括的視点を、つぎのとおり提示しています。すなわち、歴史を貫いて存続してきた人間協働生活の経済・技術・社会・宗教・政治・法といった諸領域について、一方ではそれぞれの相対的な「自律性Autonomie」「固有法則性Eigengesetzlichkeit」と、他方では諸領域間の「相互制約関係」(相互間の具体的な「親和-背反」「適合-不適合」関係、たとえば「宗教の経済的被制約性ökonomische Bedingtheit」と「宗教の経済制約性ökonomische Relevanz」)とを認め、そのうえで、各領域の「合理化」を、「人間生活全般の合理化の、それぞれの領域に特有の部分現象eine besondere Teilerscheinung der allgemeinen Rationalisierung des Lebens」として捉えようという視点です。

かれ自身の分担寄稿 (当初には「経済と社会」、やがて「1914年構成表」では「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力Die Wirtschaft und die gesellschaftlichen Ordnungen und Mächte」と改題) においても、この視点から、経済の展開を、社会との関連において、ということはつまり、「社会を媒介とする宗教政治法などとの相互制約関係において、それも、「人間生活全般の合理化の、『経済』領域に特有の部分現象」として、(同じく「人間生活全般の合理化の、『社会』領域に特有の部分現象」としての)「社会」の「合理化」との関連において、捉えようとします。

しかもそのさい、ヴェーバーは、「社会」の実体化を避けるため、(他の諸領域と並ぶ一領域として概括的に呼ぶばあいを除いて) あえて「社会Gesellschaft」概念は立てず、「行為Handeln」と「秩序Ordnung」というふたつの概念から、「社会諸形象soziale Gebilde」の概念を、「諸個人の行為がさまざまな方向と度合いにおいて秩序づけられている協働連関Zusammenwirkungen」として、構成しようとします。したがって、まずは、そういう独特の概念構成において、「社会」の「合理化」とはどういう事態か、「行為」と「秩序」のいかなる佇まいを指すのか、諸個人の「バラバラな」(互いに「意味」関係のない) 併存という「社会以前」の状態を起点に据えるとすれば、そこからどういう経過をたどり、どういう状態になれば、「合理化」が達成されたと見るのか、――そうした経過の全体を見通して、おおよその見取り図を描き、研究の道標を立てておかなければなりません。さもないと、「舵も羅針盤もなしに大海に乗り出す」羽目に陥るでしょう。

 

 としますと、まさにそうした概念構成の基礎工事が、「カテゴリー論文」(1913) の「第二部」[2] (§§Ⅳ~Ⅶ) でなされています。

この「第二部」について、「カテゴリー論文」冒頭の注には、こうあります。「この論文の第二部は、かなりまえに書き下ろされていた論稿から抜いてきた断片で、もとの論稿は、じっさいの事象にかかわる諸研究sachliche Untersuchungen、なかんずく間もなく出版される叢書への一寄稿(「経済と社会」)の方法的基礎づけに役立てられるはずであった。その論稿の他の部分は、別途、折りを見て出版されるであろう」[3]と。この注が書かれた1913年には、『社会経済学綱要』へのヴェーバーの寄稿は、まだ「経済と社会」と題されていましたから、この注記は、「カテゴリー論文」の「第二部」が、元来は、叢書『社会経済学綱要』への一寄稿 (「経済と社会」)、すなわち「旧稿」の方法的基礎づけとして書かれた、という事情を、原著者みずから証言していることになりましょう[4]

また、その冒頭注には、(上記引用の直前の箇所で) こうも述べられています。「読者は容易に気がつくであろうが、わたしの概念構成は、……シュタムラーの (『経済と法』が) 提示するそれと、一見類似していながら、内実としてはこのうえなく対立する関係にある。これはまさに、意図してそうしたのである。……後に (§§Ⅴ-Ⅶで) 提示する範疇のすべては……ある程度、シュタムラーが『いうべきであったはずの』ことwas Stammler »hätte meinen sollen« を示すために展開されている」[5]

 ここには、「カテゴリー論文」「第二部」の社会学的基礎範疇が、シュタムラー批判の積極的展開として定立された、という関係が明言されています。そこで、「シュタムラーによる唯物史観の『克服』」1907年、以下「シュタムラー論文」と略記)に遡って、この関係の内実を解き明かすことにしましょう。

ヴェーバーはまず、当時の「学問」概念を批判的に集約して、(1)「客観的意味」について「理念ないし当為としての妥当性」を問う「規範学Dogmatik」と、(2)「主観的意味subjektiver Sinn」について「存在と因果的意義」を問う「経験科学」とを区別します[6]。そして、この区別を堅持しつつ、「規則Regel」の概念を検討し、①規範学の対象としての「規範Norm」「命令Imperativ」と、②経験科学の対象としての「経験的規則性empirische Regelmässigkeit」以外に、③行為の一規定根拠・因果的一契機として、(適合的には経験的規則性を引き起こす)「規範表象Normvorstellung」=「(規範的) 格率Maxime」という第三のカテゴリーを定立します。そのうえで、「法」も、シュタムラーの主張とは異なり、「社会生活soziales Leben」の普遍的「形式Form」ではなく、「(規範的) 格率」として、その「質料Materieの一部をなす、と見るのです。

したがって、「社会生活」概念についても、シュタムラーが、「制定規則によって外的に規制された協働」と「規制のない併存」という論理上は非和解的な)対立を、経験的現実に持ち込み、後者から前者への移行は「絶対に不可能」で、両者間に「第三のカテゴリー」が存立する余地はないと説いていた[7]のにたいして、ヴェーバーは、そういう見方は「概念と現実(規範学と経験科学)との混同」である、として斥け、経験的現実においては、両対極間に流動的移行関係があり、「第三のカテゴリー」も存立すると主張します[8]

この見地から、シュタムラーのいう「規制のない併存」から「制定規則によって外的に規制された協働」にいたる経過が、流動的移行関係として、「行為」と「秩序」の概念によって捉え返されます。複数個人の「行為」は、「無規制」のバラバラな併存から、互いに「意味」のうえで関係づけられ (「行為連関」「集合態」)、やがてそこに「秩序」(「格率Maxime」のシステム) が生成し、個々人がその「秩序」に「準拠orientieren」して他者の行為を「予想erwarten」し合い (「予想準拠Erwartungsorientierung)、さらに秩序「遵守Befolgung, Innehaltung」を義務とも感得し(「価値準拠Wertorientierung)、その「保障Garantierung(「違反」「逸脱」への内的-外的「制裁Sanktion) もととのえて、「制定規則によって規制された協働」すなわち「秩序づけられた協働行為連関」に到達するでしょう。そのようにして生まれる「社会形象」が、相対的に安定し、「多年生perennierend」ともなり、個々の構成員の入れ替わりを越えて存続するようになりますと、総じて、他者の行為にたいする合理的な予想計測可能性」は高まるでしょう。こうして、「社会形象」への「組織化Organisierung」ないし「凝結」、あるいはまた、その逆の「解体Desorganisierung」ないし「拡散」を含む、「流動的相互移行関係」という概念が、シュタムラーの「社会生活」概念にたいする積極的批判として、シュタムラーが本来「いうべきであったはずの」こととして、導き出されます。

 

「カテゴリー論文」の「第二部」では、§Ⅳで「ゲマインシャフト行為」、§Ⅴで「ゲゼルシャフト行為」、§Ⅵで「諒解 (行為)」、§Ⅶで「団体」と「アンシュタルト」といった、社会学的基礎範疇が順次定立されていきますが、それらを、いま要約したシュタムラー批判の積極的展開として、経験的現実における流動的相互移行関係を分析するための指標とみなし、簡潔に整理しますと、つぎの四概念からなる一階梯尺度に編成されましょう。すなわち、

    ①「同種の大量行為gleichartiges Massenhandeln(たとえば、複数の通行人が、突然の驟雨に街頭で一斉に雨傘を広げるといった、互いに「意味」上の関係はない、自然現象への同種反応、「思わず」起きる機械的模倣。「意味」上の関係が無視できるほど稀薄で、他者との関係がたんなる事実上の与件をなすだけの「(空間的には離れ離れながら、マス・メディアによって関連づけられた) 行為」、「(空間的に密集している) 行為」、

    ②「無秩序のゲマインシャフト行為 amorphes Gemeinschaftshandeln(「意味」上の関係は発生しても、まだ「秩序」は生成しない、無定型のゲマインシャフト行為)

    ③「諒解行為Einverständnishandeln (さしあたり、非制定秩序に準拠するゲマインシャフト行為)、および

    ④「ゲゼルシャフト行為 Gesellschaftshandeln(「目的合理的に制定された秩序」に、目的合理的に準拠するゲマインシャフト行為)」、

の四概念です。これらが、「ゲマインシャフト関係 (社会関係一般)」の「合理化」の度合いを示す形式的(内容上の分節化にはかかわりのない)尺度をなしている、と考えられましょう。

 

さて、「ゲマインシャフト関係」は、一時的・臨機的な生成ないし結集にとどまり、瞬時ないし短期のうちに消滅するばあいもありましょうし、逆に、(その「意味」関係は「意義変化Bedeutungswandel」を遂げながらも)繰り返されて存続し、持続性を取得し、関与者をあとから「補充する」までに「多年生」となり、「社会形象」としていわば「成熟」することもありえましょう。そうした多年生の「ゲマインシャフト関係」には、「言語ゲマインシャフトSprachgemeinschaft 」や「市場ゲマインシャフトMarktgemeinschaft」のように、通例「開かれてoffen」いて、望む者ならだれでも参入できる、という類型もありましょう。しかし、必ずしもそうとはかぎりません。ヴェーバーは、多少とも「閉ざされgeschlossenた」類型として、「アンシュタルトAnstalt」と「団体Verband」を挙げ、前者を「ゲゼルシャフト関係」、後者を「諒解関係」として、相互に区別します。

「アンシュタルト」とは、制定秩序と強制装置をそなえた「ゲゼルシャフト形象」で、構成員の補充が、「当事者の意思表示なしに、なんらかの純然たる客観的標識にもとづいて」なされる類型です。たとえば、新生児が一定の出生条件(出生地、両親の国籍ないし所属宗派)をみたせば、それだけで編入が決められる――そのなかに「生み込まれhineingeboren」、そのなかで「育て上げられるhineinerzogen」――「国家Staat(と呼ばれる「政治ゲマインシャフト」) や、「教会Kirche(という術語があてられる「宗教ゲマインシャフト」) などです。

ちなみに、補充が、加入志望者の意思表示にもとづき、多くのばあい資格審査をへてなされる「ゲゼルシャフト関係」の合理的理念型が、「目的結社Zweckverein」です。そこでは、制定秩序も、上級の権威から「授与oktroyieren」されるのではなく、原則上はすべての関与者ないし構成員によって「協定paktieren, vereibaren」されます。

他方、「団体」は、制定秩序と強制装置を欠く「諒解ゲマインシャフト」にとどまる点で、両者をそなえた「アンシュタルト」からも「目的結社」からも、区別されます。ただし、団体でも通例、特定の権力保有者が、「諒解」によって所属のきまる関与者の行為に、「諒解」によって効力をもつ「格率」(非制定秩序) を発令し、「諒解」に反する行為には、そのつどなにほどか物理的ないし心理的な強制を行使して、秩序を維持しています。たとえば、「家長Hausherr」を権力保有者とする原生的urwüchsigな「家ゲマインシャフト」、「君侯Fürst」を戴きながらも合理的制定規則は欠く「家産制的patrimonial」政治形象、「予言者Prophet」をカリスマ的権力保有者とする「使徒Jünger」たちの「即人的persönlich」結集態などが、「団体」の比較的純粋な類型といえましょう。

そのように、ここ「カテゴリー論文」では、多年生で多少とも「閉ざされた」ゲゼルシャフト関係あるいは諒解関係として――したがって、「ゲゼルシャフト行為」あるいは「諒解行為」概念の系として――、「アンシュタルト」と「団体」の概念が設定されています。ところが、それらがやはり «基礎概念» では変更されます。すなわち、«団体Verband» が、対外的に閉鎖された «社会関係soziale Beziehung» であって、その秩序維持が、一定の人びと――すなわち、ひとりの «指揮者Leiter» か、(ばあいによっては) «代表権Vertretungsgewalt» を与えられた «行政幹部Verwaltungsstab» ――の、秩序の貫徹に特別にそなえた行動によって保障されているばあい[9]と定義され、その «社会関係» が、«Vergemeinschaftung» か、それとも «Vergesellschaftung» かは、概念上どうでもよい、とされます。そのうえで、«結社Verein» が、«協定による団体 vereinbarter Verband» であって、その制定秩序が、個人加入による関与者にだけ適用されるばあい、と規定され、«アンシュタルト» は、その制定秩序が、一定の標識に当てはまる一定の行為に、(比較的) 効果的に強制される団体Verbandと定義されます[10]«団体» が、「カテゴリー論文」における「諒解関係」という限定を取り払われ、«結社» «アンシュタルト» とを包摂する上位概念に変更されたわけです。一見些細なこの変更が、どういう意味をもつか、やがて明らかにされましょう。

 

さて、「カテゴリー論文」に戻り、前掲の四階梯尺度で、①から②③をへて④にいたる(飛び越しもありうる) 移行は、流動的であるばかりか、可逆的双方向的でもあります。たとえば、諒解行為 (非制定秩序) からゲゼルシャフト行為 (制定秩序) への移行は、当然、流動的ですが、「逆に、ほとんどあらゆるゲゼルシャフト関係からは、通例、その合理的な目的の範囲を越えるübergreifend (「ゲゼルシャフト関係に制約されたvergesellschaftungsbedingt) 諒解行為が、当事者間に発生」します。たとえば「ボーリング・クラブは、構成員間の行動について『慣習律的konventionell』な帰結をともなう。すなわち、ゲゼルシャフト関係の埒外にあって諒解に準拠するゲマインシャフト行為を創成する」というのです[11]

この傾向はまた、「宗教的ゼクテ」の変質にも看取されましょう。加入申請者に厳格な資格・行状審査を課す「目的結社」としての宗教的ゼクテは、加入者間に、また第三者にたいしても、「(厳格な審査に耐えた) 信頼の置ける人物」という「諒解」と、これにもとづく「信用関係」という「諒解ゲマインシャフト」を創成します。そして、この「諒解」は、加入者の (本来の加入「目的の範囲を越える」) 社会経済活動にも「ものをいい」、有利にはたらくにちがいありません。そうしますと、やがてはこの派生機能のほうが(本来の宗教的機能よりも)重視されるようになり、宗教上の目的は抜きに、もっぱらこの「信用保証」を当て込んで加入を申請する人びとが輩出してきます。そうなると、「宗教的ゼクテ」は、世俗的な「クラブ」に変質、転態を遂げます[12]

そのように、ゲゼルシャフト形成は、通例、その合理的な目的「の範囲を越える」諒解関係を「創成」「派生」させ、両者の「重層」関係 (松井克浩) において力点が後者に移動する (「合理化」には「逆行」する) 現象をともないます。したがって、歴史発展を、「ゲゼルシャフト関係が諒解関係に一義的にとって代わる (発展段階論的置換)」と総括したり、「ゲマインシャフト関係からゲゼルシャフト関係への一方向的 (進化論的移行)」と定式化したりはできません。とはいえ、歴史発展を全体として展望すると、「『諒解行為』が制定規則によってますます包括的かつ目的合理的に秩序づけられ、とくに『団体』が、目的合理的に秩序づけられた『アンシュタルト』へと転態を遂げる」[13]趨勢が、確かに認められます。

ただしここで、そうした「社会」領域の「合理化」が、けっして一義的に単線的かつ単調に進むのではなく、既存のゲマインシャフト関係のなかに台頭するゲゼルシャフト形成が、一方では旧い諒解関係を引きずり、他方では新たな諒解関係を派生させ、後者には足を取られ力点移動や鈍化を被りながら進む(ばあいによっては途絶したり、方向を逸らされたりする)という特性をそなえていること、に注意を止めましょう。この特性が、「ゲマインシャフト関係における諒解関係ゲゼルシャフト関係との流動的相互移行」という「カテゴリー論文」の概念構成によっては、的確かつ容易に把握されるのですが、«基礎概念» では、「諒解」概念の脱落と「団体」概念の変更 (上位概念への一般化・抽象化) によって(捨象されてしまったとはいえないにせよ、おそらくは変更の概念の運用に委ねられて)、文面からは把握され難くなっているのも、否めないところです。

 

それでは、「ゲマインシャフトの秩序(社会秩序一般)」がそのように「合理化」されるとは、じっさいには何を意味しているのでしょうか。

わたしたちは今日、電車、エレベーター、自動車、飛行機、テレビ、パソコン、医療施設など、現代技術の合理的所産を利用して生活していますが、そのさい通例は、それらが製作されるさいに基礎とされた自然科学上の原理や法則については、何も知りません。ただ、自分にとって重要な関心の範囲内で、それらの製作品が「どうはたらくか」を「予測し」、「当てにし」て、そのはたらきを利用しているにすぎません (ここでヴェーバーが、一例として「九九」の利用を挙げていることを記憶に止めておきましょう)。とすると、「貨幣」のような (C.メンガーによれば「無反省的unreflektiert」に生成した) 社会的制度も、「法律」や「結社規約」のような、合目的 (同じくメンガーによれば「実用主義的utilitarisch) に制定された秩序についても、同じことがいえましょう。

アンシュタルトなり目的結社なりの秩序について、新しい「法律」や「結社規約」の制定が日程に上って議論されている間は、それらの「目的」や「意味」が、通例、少なくとも利害関係者には見抜かれているでしょう。ところが、その新しい秩序が、制定され、授与されて、じっさいに「定着」し「馴染まれ」てくると、当初の目的や意味は、忘れられるか、「意義変化」によって隠蔽されます。その結果、その執行に携わる「機関」の構成員も、紛争の処理にあたる裁判官や弁護士も、ごく少数しか、当初の意味は知らない、という事態に立ちいたるでしょう。ましてや、一般大衆となると、どうでしょうか。「合理的秩序の平均的に理解された意味に近似的には一致する行為を、いってみれば『伝統的』に教え込まれ、たいていは秩序の目的も意味も、さらには秩序の存在さえ、まったく知らずに、その行為を [事実上] 遵守している。したがって、ほかならぬ『合理的』秩序の経験的『妥当』が、それはそれで、大部分がふたたび、習慣となったもの、慣れ親しんだもの、教え込まれたもの、いつも繰り返されるものには服従する、という諒解Einverständnisのうえに成り立つことになる。そうした行動は、その主観的な構造についてみれば、しばしば圧倒的といってもよいほどに、いかなる意味関係ももたない、多少とも一様な大量行為gleichmässiges Massenhandelnの類型に」[14]収斂する、といえましょう。

したがって、そのように社会の分化Differentierungと合理化が進展する」――ということはつまり、社会構成員が、原理や技術を修得し、意識的に適用して日用品を製作する側、また、意識的に目的を定立して目的合理的に秩序を制定する側と、そのようにして製作された製品や制定された秩序に適応して、その便益を利用する側とに分けられ、そうした条件のもとで、上記技術や秩序の「合理化」が進展する――と、合理的な技術や秩序にじっさいにかかわりあっている人びとが、その技術や秩序の合理的な基礎からはますます引き離され疎隔されてくるでしょう。「総じてかれらには、合理的な技術や秩序の基礎が隠されているのが普通で、その点は、呪術者の仕種の意味が、未開人に隠されているのとまったく同様である」[15]というわけです。

それゆえ、「ゲマインシャフト行為 (社会的行為一般) の諸条件や諸連関にかんする知識の『普遍化Uiversalisierung』」――ということはつまり、そうした知識が、上記のような製作者・制定者側と適応者側とへの分化を越えてあまねくいきわたり、共有されること――が、当のゲマインシャフト行為の「合理化」を引き起こすわけではありません。むしろ、まったく逆に、そうした知識の(製作・制定者側への)「偏倚」「集中化」が、(「授与-指令権力」の「偏倚」「集中化」をともないながら)ゲマインシャフト行為の「合理化」をもたらし、この「合理化」が翻って、製作-制定者側と適応者側との分化を拡大・固定化し、適応者側における合理的基礎からの疎隔を、それだけいっそう拡大するでしょう。したがって、合理的技術や合理的秩序といった「文明」に適応し、「飽和したgesättigt」「文明人」は、自分の生活の経済的・社会的条件については、(比較的単純な「自分の生活条件」を経験的に熟知している)「未開人」に比べて、じっさいにははるかに少しのことしか知らない、ということになります。

そのうえ、「文明人」の行為が、「未開人」のそれに比べて、「主観的に目的合理的」に経過するのか、といえば、必ずしもそうとはかぎりません。なるほど、「未開人」は、特定の目的にたいする効果を求めて、一般に(「文明人」から見て)客観的には整合合理的objektiv richtigkeitsirrational」な呪術に頼るでしょう。しかし、所期の効果が達成されないばあいには、当初の呪術者、あるいはさらに、その背後に想定された「デーモンや神々」といった「超感覚的諸力」は見捨てて、別の呪術者にサーヴィスを依頼するでしょう。そうしたスタンスは、それはそれで、効果がえられるまで、つまり所期の目的が達成されるまで、つぎつぎに呪術者と神々を取り替えていく取捨選択という点にかけて、そのかぎり「主観的には目的合理的subjektiv zweckrational」でしょう。それにたいして、ある「文明人」が、(ある神信仰のもとで、どんなに不可解な不如意がつづいても、当の神を見捨てないばかりか、むしろそうした苦境を「自分たちの不信にたいする神の怒りの現れ・懲罰・愛の笞」と解して、かえって信仰心を強め、そうした「敬虔」な志操が当の神に嘉納されることを祈願する、といった)「志操宗教性Gesinnungsreligiosität」ないし「倫理宗教性ethische Religiosität」の信奉者か、その末裔であるばあいには、少なくとも「超感覚的諸力」にたいするスタンスにかけては、そのように価値硬直的、言い換えれば「価値合理的wertrational」で、それだけ「目的合理的」でしょう。

それにもかかわらず、「文明人」の置かれている状況が、なおかつ一般には「合理的」と思われているのは、なぜでしょうか。それは、かれが、電車、パソコン、医療、貨幣、裁判、軍隊といった日常生活の諸条件は、原理的には合理的な、つまり (自分ではないけれども、誰か他の人間が) 合理的に知り、製作し、制定した、(自分ではないが) 人間の製作物・制定秩序であって、呪術者が呼び出す (超感覚的) 諸力のように、(「予測不可能」という意味で)「非合理的」に振る舞うわけはなく、合理的に (誰か人間に知られた規則にしたがって) はたらくので、原理的にはそれらを「あてにし」、そのはたらきを「予測し」、自分の行為も、そうした「予測」に準拠して何とかやっていくことができると信じている、という一点にあるのでしょう。

(20101023日記、このあと、3.「カテゴリー論文」と「旧稿」冒頭 (Ⅰ「概念」篇-2「法と経済」章) との関連、につづく)

 



[1] 拙稿「比較歴史社会学――マックス・ヴェーバーにおける方法定礎と理論展開」(小路田泰直編『比較歴史社会学へのいざない――マックス・ヴェーバーを知の交流点として』2009、勁草書房: 58-95)では、「ヒンドゥー教と仏教」における「カースト制」の特性把握と因果帰属を例示として、その方法を解説しています。

[2]「カテゴリー論文」は、七つの節から構成されていますが、「第二部」とは、内容上、「ゲマインシャフト行為」以下の社会学的基礎範疇を定立している§§Ⅳ~Ⅶを指すと解せましょう。残る§§Ⅰ~Ⅲが、「第一部」で、理解社会学の考察方法を、「明証性」と「妥当性」、「主観的目的合理性」と「客観的整合合理性」の区別を導入し、心理学や法規範学との対比をとおして、方法的に基礎づけています。「カテゴリー論文」の成立事情については、191395日付けリッカート宛て書簡に、「34 (34 Jahre) 前に仕上げておいた元稿ursprüngliches Teilを取り出して推敲し、『純論理学的叙述は最小限に切り詰め』た序論を書き加えて前置し、915日の原稿締め切り日までに、『ロゴス』誌の編集者リヒャルト・クローナー宛てに送る」(Ⅱ/8: 318)と記されています。

[3] WL: 427, 海老原・中野訳: 6-7.

[4] ちなみに、引用文にいう「論稿の他の部分」とはおそらく、「1914年構成表」の「経済と法の原理的関係」(折原編では「法と経済」) および「団体の経済的関係一般」(折原編では「社会と経済」) を指すと見られましょう。「別途、折りを見てanderweit gelegentlich」とは、「叢書とは別に発表する」という趣旨ではなく、「このロゴス誌とは別に」、元通り「叢書への一寄稿」に含めて出版する、という見通しを語っている、と解せましょう。ただ、ヴェーバーは、編集主幹として叢書全体の水準を維持するため、他の諸寄稿の「不出来Minderleistung」を自分の寄稿部分で補おうと考えていたようですから、「経済と社会」の草稿は、当時はまだ流動的で、ばあいによっては「方法的基礎づけ」を全部外すか、大幅に圧縮する、というようなこともありうる、と見て、明快な言明は意図して避けたのでしょう。それではなぜ、「方法的基礎づけ」論稿の一部だけを抜き出して、いちはやく別途『ロゴス』誌に発表したのか――それは、「旧稿」からの「切り落とし」(シュルフター) ではないのか――、という疑問が生じましょうが、この点については、後段で改めて問題にします。

[5] WL: 427, 海老原・中野訳: 6.

[6] この基本的区別にもとづき、「旧稿」「経済と秩序」章の冒頭で、法(規範)学的考察方法と社会学的考察方法との区別が導入されます。

[7] Stammler, Rudorf, Wirtschaft und Recht, 2. Aufl, 1906, Leipzig: 106-07.

[8] たとえば、「プロイセンには母親に授乳を命ずる法律があるが、他国にはない」という事例を持ち出し、「シュタムラーの概念によれば、プロイセンの母親の授乳は『社会生活』で、他国の母親は同じことをしていても『社会生活』ではない、ということになるが、どうなのか」と詰め寄ります。このばあい、プロイセンの母親が、きまって授乳する (経験的規則性) としても、ほとんどのばあい、当の法律を知って、それを遵守するからではなく、同じ法律はない国々の母親たちと同じく、授乳するのが「妥当gültig」と「諒解しているeinverstanden」ので、「als ob あたかもそうした法律にしたがうかのように」きまって授乳するのでしょう。こうして、ある行為が、制定規則はないのに、「妥当」と「諒解されている」がゆえに、(客観的には)「あたかも制定規則を遵守するかのように」経過し、他方、制定規則があるばあいにも、それの命ずる行為がなされるのは、それが制定規則であるからではなく、むしろ「妥当」と「諒解されている」がゆえである (制定規則も「諒解」によって経験的妥当性を取得する) という命題が導かれ、「諒解行為」という「第三のカテゴリー」が定立されます。

[9] WuG: 26, 阿閉・内藤訳: 74.

[10] Ibid: 28, 阿閉・内藤訳: 80.  

[11] Cf. WL: 461, 海老原・中野訳: 97.

[12] 歴史上反復されるこうした「法則的」傾向性は、「目的結社」他、社会形象の「意義変化」「機能変換Funktionswechsel」と呼ぶことができましょう。この視点は、ヴェーバーが、北米旅行のさい、プロテスタンティズムの諸ゼクテを観察し、その社会経済的機能について取得した洞察を、理論的に一般化し、「旧稿」におけるいっそう広汎な適用にそなえたものといえましょう。

[13] WL: 470-71, 海老原・中野訳: 120.

[14] WL: 473, 海老原・中野訳: 124.

[15] WL: 473, 海老原・中野訳: 125.